社会学の院生がITベンチャーの研究開発職に就くまで、そしてこれから
今年の2月にSansan株式会社に研究開発職として入社してから、そろそろ1年が経とうとしている。
社会学の修士卒→ITベンチャーのR&Dというキャリアはかなり特殊ということもあり、「どうしてそうなったのか」を色々な人から尋ねられる機会も増えてきた。
というわけで、2018年の振り返りも兼ねて、大学・大学院時代にやっていたこと、入社までの経緯、そして現在何をやっているのか等をまとめることにする。
学部1~2年
自分が入学した東京大学教養学部文科3類は、他の科類に比べても文系色が強く、世にいう「文学部」をイメージしてもらえば大枠としては外さないはずだ。学部1,2年は教養課程で、3年生から専門の学部へと進学する仕組みになっている。
この頃はドイツ語やイタリア語などの外国語を中心に哲学、社会学などをつまみ食い的に勉強していた。大学に入る前から大学院にはなんとなく進学するつもりではいたが、おおまかには文献研究になるだろうと踏んでいた。
この時期は基本的に人文・社会系の勉強が多かったが、たまたま履修した行動生態学の授業が面白く、それ関連の本を読み漁ることもあった。
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では、現在の仕事に直接つながるような勉強をしていたかというと、決してそうではなかった気がする。
準必修でたまたま履修した自然言語処理の授業でRを触ったことはあったが、成績はそこまで芳しくなく、スクリプトを書いていても全く楽しさを感じなかったので、将来的にこれが商売道具になろうとは当時は思いもしなかった。
加えて、もともとプログラミングや情報技術自体には興味があり、趣味で基本情報技術者試験を受けたりしていたものの、実務でコードを書くといった経験はほとんどなかった。
学部3~4年
社会学専攻に進学してからは、先輩や同学年の人たちに恵まれた。近年のコーホートの中では、最も「社会学を勉強するんだ」という気骨のある人たちが集まる世代だったのではないかと思う。
理論・メソッドを問わず、非常に盛んに勉強会や研究会が開かれた。自分もほぼ毎週のように何かしらの勉強会の準備に追われていた。学部生室には常に誰かがいて、何かしらの議論が行われていた。
具体的にどのような文献を読んでいたかというと、理論だったらColemanやGiddens、メソッドだったらWooldridgeの計量経済学の教科書やAgrestiのカテゴリカルデータ分析の本などを輪読していた。とにかく興味のある本があれば、周りを巻き込んで何でも読んだ。
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計量分析を始めたのは、専門課程に入ってからのゼミの影響が大きかったと思う。学部に入った当初は興味が思想方面にあったのだが、優秀な人たちが計量寄りのゼミに入っていたこともあり、気付けばそちらの道に進んでいた。
統計学やRの使い方を本格的に勉強し始めたのはこの頃だった。当時はRの解説本はまだ市場にそれほど出回っておらず、『Rによるやさしい統計学』を繰り返し読んでスクリプトを書いていたと思う。
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社会ネットワーク分析(以下SNA)と出会ったのもこの頃で、きっかけはたまたま乱読していた本の中で出会った安田雪先生の『パーソナルネットワーク』だったような記憶がある。
もともと自分はずっと「社会的分断」のようなテーマに興味があり、そのような現象に対するフォーマルな記述手法を提供するSNAに感銘を受けた。
パーソナルネットワーク―人のつながりがもたらすもの (ワードマップ)
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SNAに興味を持ち始めてからは、GUIベースのPajekというソフトウェアを使って、サンプルデータを用いながら遊び半分で分析を回していた。
学部3年で書くゼミ論では、高校の学級にフィールドワークに行き、そこで実際にネットワークデータを収集して、Pajekで分析・可視化などを行った。修論もこのテーマをそのまま引き継いだものだ。
(ちなみに現在ネットワークを分析する時はigraphかNetworkXを使っている)
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ちなみに東京大学には「情報学環教育部」というユニークな組織があり、こちらにも所属していた。メディア論やジャーナリズム論を学べる学内のダブルスクールのような組織で、情報法について学ぶ授業や、レッシグの『CODE』を読む授業などを聴講していた。
東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 – 情報学環教育部 (実はヘッダー画像に僕が写っている)
ここでは、自主的にネット炎上や監視社会に関するゼミも開いていた。学部では定量的な分析がメインだったが、こちらではどちらかというと歴史や理論的なアプローチで、しかもかなり自由な形式で発表などを行っていた。
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この組織にはフルタイムで働いている人や、普段出会わないような理工系の学生も在籍しており、何気ない会話の中で異なる領域の知識や視点を知ることができた。
自分の中での見える世界の幅が広がったのは教育部のおかげだと思う。例えば現在仕事でやっているような「社会学の知識を活用して何かプロダクトが作れるんじゃないか」みたいなアイデアが、教育部に在籍した経験なくして出てくるものなのかは自信がない。本当に良い教育機関だと思う。
大学院修士課程
修士1年のときには学会発表共著で査読付きの書評論文を書いたり、学会発表にも精力的に参加し、年度の終わりにはINSNAというSNAの国際会議にも出席した。Scott FeldやBarry WellmanといったSNA界のレジェンドを間近で見られて感無量だった記憶がある。
修士生活はかなり順調だったと思う。ここまでは。
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SNAを勉強していると誰もが思うことかもしれないが、SNAの本流は主にアメリカ合衆国、オランダ、オーストラリアの3カ国にあり、日本の社会学のプレゼンスはまだまだ高いとは言えない。
当然そうなると海外にPh.D留学したいという気持ちが湧いてくる。INSNAに参加してこのあたりの思いは決定的なものになったと思う。
ただ、あまりにも遅かった。M2の4月から急いで準備を始めて、TOEFLなどを受験するも、一向にスコアが伸びなかった。2万円弱ほどの受験料が発生する試験で、金銭的な負担はそのまま精神的な不安として大きくのしかかった。
フルブライトや伊藤国際などの奨学金プログラムにも応募したが、おそらくTOEFLの点数が低すぎて軒並み不合格となった。
この間、概日リズムは完全に狂ってしまい、朝の5時に寝て午後4時に起き、その後は一切頭が働かずにボーっとしただけで一日が終わる、ということも珍しくなかった。
結局、留学は挫折することとなった。この決断の後、推薦状を書いていただくなど尽力していただいた指導教員にもその旨を伝えた。そこで励ましの言葉をいただいたのだが、先生の部屋から出てすぐに法文1号館のトイレ個室でどうしようもなく大泣きしてしまったことを今でも鮮烈に思い出す。
さて、そこからは概日リズムを調整する薬を服用しつつ、修士論文をやっとの思いで書き上げた。その後、口頭試問で激烈な批判を浴びせられながらも、なんとか修士の学位を手に入れ、博士課程に進んだ。
博士課程に進むことに特別な「覚悟」があったわけではなく、さしあたりそうする以外に選択肢がなかった、というだけだった。
大学院博士課程
こうして博士課程に進学するも、修士時代は留学準備に精一杯で学振特別研究員(DC1)にも応募しておらず、露頭に迷っていたところ、修士時代に1年間アルバイトしていた情報学環教育部の先輩方の経営する会社に拾っていただいた。
正社員として雇用していただきながら、ダッシュボードの作成、レポート作成、効果検証やPythonでのスクレイピング、アンケート調査の集計システムの開発などを行った。
ある程度裁量を与えられながら、VMやgitなどの技術にも触れつつ、データ分析およびシステム開発の実務に携われたのは非常に貴重な経験だったと思う。気が向いた時にはkaggleでKernelを書いたりしていた(最近はサボっている)。
Clustering Top Players | Kaggle
こうして週4日ほど勤務しながら、かなりスローペースながらも、修士論文の投稿論文化を中心に研究活動は続けていた。査読論文こそ出していないものの、SNAに依拠しつつ、学会やシンポジウムでの発表や、研究プロジェクトの報告書などを書いていた。
ある日
日々の生活には一切の不満もなかったのだが、ある日、Twitterで一件の求人募集を目にする。
どうやらSansan株式会社というところで、「社会科学分野のデータサイエンティスト」を募集しているらしい。いやいや「社会科学」というのは経済学や金融工学のことだろうと思いながらも詳細を見ると、
「計量経済学、社会心理学、ネットワーク分析、Computational Social Scienceなど」の研究経験がある人を募集しているという。しかも、実務経験があり、かつRやPythonが使えることが募集要件の中に入っている。
胸が高鳴った。「これは自分のことではないのか?」という気持ちが捨てきれなかった。この募集要項を見た晩はロクに眠れず、仕事中ももっぱら悶々としていた。いてもたってもいられずに、会社の人たちに相談したところ「とりあえず面接に行ってみたら?」と言われた。
学部・院時代には就活をした経験がなかったため、様々なことが分からなかった。それでも慣れない手つきで履歴書と職務経歴を書き上げて、送った。書類審査に通過したという知らせを受けて、面接に向かうと、オフィスはあまりにもオシャレでキラキラしていた。とても緊張した。
だが、面接官(後に同じチームの人になる)とネットワーク研究について喋るうちに、「ここにもいたんだ」という感覚を覚えた。自分のやってきたことは、もしかしたらここで実を結ぶのではないかと。
幸運にも、自分の「やってきたこと・これからやりたいこと」と、先方が「やってほしいこと」がマッチングし、無事に採用が決まった。今から思えば、会社からするとかなりの思い切った判断だったのかもしれない。
現在
現在は、大学院を休学してフルタイムで働いている。機械学習のプロフェッショナルや一流のエンジニアの中で揉まれつつも、なんとか自分なりのやり方で新規サービスを作ったり、社内システムを作ったり、その傍らで社会ネットワーク研究オタクとしてSNAに関するコラムやブログなどを書いている。
部署のslackには15000個のemojiがあり、毎日愉快に仕事できている。また、みなそれぞれ専門領域があり、お互いがリスペクトし合える雰囲気があって、環境としてはとても良いと思う。
自分のバックグラウンドは工学・情報学にないが、かといって全く歯が立たなかったり、自分の作ったものが全然評価されないというわけでもない。むしろ社会(科)学では当たり前の発想が、真新しいアイデアとして驚かれることもある。
これは希望的観測だが、社会科学出身者の雇用先として、今後データサイエンティストやエンジニアといった選択肢は増えていくはずだ。だが、自分が失敗してしまったら、自分以外の人の未来の可能性まで潰してしまうような予感もあり、そのあたりの緊張感は持って日々仕事をしている。
さいごに
こうして改めて振り返ってみると、良い人との出会いの中で自分の方向性が水路づけられていったに過ぎないと感じる。
本当に、人と人との出会いというものはそれ自体奇跡だと思う。
一方、科学的な立場からは、やはり奇跡で終わらせることはせずに、そのメカニズムと対峙する必要があるとも考える。
ネットワーク研究者として、その狭間で揺れながら、それなりに気合を入れて2019年はやっていこうと思う。
まだまだ未熟者ですが、来年もよろしくお願いします。